太宰治の実家の金庫
昨日7月7日の日本経済新聞に太宰治の実家の金庫が生家「斜陽館」に戻されたとの記事が掲載されていました。1984年に津島家が斜陽館を売却する際に金庫も売りに出され、太宰の弟と同級生だった製材業の故荒関通義さんが購入。後を継いだ息子の勝康さんが製材会社を廃業後に五所川原市に寄贈を申し出て、ことし6月に実現したものだとのことです。
ところで、その荒関勝康さんの娘さんである箏演奏家の荒関裕子さんには、去年の12月と今年の1月にギャラリー古藤で箏の演奏会を行っていただきました。
先月19日に私が五所川原市にある斜陽館を訪れた際に、金庫の置いてある場所に行くと、地元の人らしき二人が今朝の地元紙に金庫が戻されたとの記事が掲載されていたと話題にしていました。それから半月後の日経記事です。
太宰は古書にある「奥羽両州の人の心、愚にして、威強き者に随ふことを知らず、彼は先祖の敵なるぞ、是れは賤しきものなるぞ、ただ時の武運つよくして、威勢にほこる事にこそあれ、とて、随はず。」との記載を引用し「津軽の人々を強者にお辞儀することを知らない馬鹿意地がある」と小説「津軽」のなかで記載していますが、この言葉こそ太宰文学の真髄を表しているように思われます。
昭和11年太宰の薬物依存があまりに深刻な為、心配した井伏鱒二ら周囲の者により江古田の武蔵野病院の精神病病棟にバビナール中毒の治療のため入院させられています。
太宰治は生家の金庫をどのように思い、江古田の地で何を考えていたのでしょうか。
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